心理学を学ぶ大学生 正義を信じている。

不細工は自由恋愛によって淘汰される

昔はお見合いで結婚をしていたが、現代では殆ど無くなった。人々は恋愛をして結婚をするというパターンが一般的になっている。自由に好きな相手を選ぶことができる。これはとても素晴らしいことだと思う。好きな相手と付き合って結婚すれば双方良い思いができるのだから。ただし、自由恋愛が広まれば人間は淘汰される。なぜかというと、男女とも自分で相手を選ぶのだから魅力が無ければ恋愛は成立しないからだ。魅力がある人間は自由恋愛の世界では有利だが、魅力が無い人間に居場所はない。魅力とは容姿や社会的なステータスのことだ。勿論、お金持ちであることも魅力である。それらが無い人間に恋愛や円満な家庭を望むのは不可能なのだ。自由恋愛がもたらした結果が吉と出るか凶とでるかは先にならないと分からない。ただ事実として自由恋愛は未婚や少子化に大きく起因している。放っておいてもいい問題ではないはずだ。

未来に不細工は存在しない

不細工の定義は目鼻立ちが平均的でないことを指す。未来、100年以上先の世界では不細工は淘汰されていると考えられる。特殊な能力や才能がある人間は少数だが存在できるだろうが、大多数は地球上から消えているだろう。なぜそうなるかと言うと大多数の人間の存在価値がなくなるからだ。つまり、人間が働く必要がない社会になるということ。それは一見喜ばしいことだが、言い換えれば大多数の人間が社会で要らなくなるということでもある。その世界では、個人の存在価値は容姿が良い人や特殊な能力を持つ人以外微々たりともない。その為、人間の数は大幅に減り世界はある意味でクリーンになるだろう。無論、自給自足的な生活を営めばそれらの問題からは縁を切ることが出来るがそのような生活は現代人が思う輝かしい未来とは程遠い世界であるだろう。

学校教育に対する私の疑問

学校の価値観が現代に全く適応できていないことは大きな問題だ。
学校で美徳とされているものは100年前から全く変わっていない。
まず一つが運動(スポーツ)ができる子供が優秀だと評価されること。
体育の授業や運動会で良い成績を上げる子供が先生から評価される仕組みがいまだに存在する。これは現代の価値観からするとおかしいことだと感じる人も多いのではないかと思う。現代では、様々な価値観があり、職業も多様化している。社会ではスポーツができる人が一番なわけではないし、テストの点数が取れる人が偉いわけではない。
世の中では社会に貢献する人が偉いのだ。しかし、学校ではそのようなことを教えない。教師はスポーツを美徳とし、テストの点数を第一とする。前者は小、中学校で顕著であり、後者は高校でそれがよく表れている。学校はなぜ同じ1つの価値観を長い間第一にするのか。学校、教師が考える教育とはなんなのか。私が思うに学校はサラリーマンを養成するための施設だ。だから、自分で考えるということを学校ではおしえない。また、教える機会が限りなく少ない。それが本当に正しい教育なのか。学校は改革を行うべきだ。それは新しい授業を導入するという浅はかなものではない。抜本的な改革が必要だ。入学試験のシステム、学校の授業内容、就業時間の取り決め、出入りの自由などやるべきことは大量にある。
改革の際に生じるであろう問題のリスク管理もしなければならない。しかし、まずは大人たちがこの問題について考えてほしい。本当に今の教育システムで良いのか、その先に子供たちの未来はあるのか。日本の行く末はあるのか。学校教育の現状について目を向けてほしい。